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株式会社 栃本天海堂

茯苓の産地を訪ねて~ 1 ~ 金沢大学薬学部教授 御影雅幸

茯苓視察地図

茯苓視察地図

2007年10月9日から6日間の予定で,湖北省と安徽省の茯苓栽培地を巡る機会を得た。

筆者は平成元年春から茯苓に関する研究を開始し,これまでに茯苓が決して従来言われてきたような切り株の根にのみ付くのではなく,立ち木(生木)の根にも付くことを報告し,また栽培化を目指して日本産茯苓菌糸の培養特性などを明らかにしてきた。

中国では茯苓の栽培が行なわれていることは周知の事実である。
日本でも試みられてきたが,中国産の菌糸を使えば可能であるが,日本産の菌糸では満足に菌核が生じてくれないことが判っている。

最近ではDNA塩基配列も調査したが,現時点では中国産と日本産に決定的な違いが見つかっていない。しかし,ご存知のように,中国産と日本産では明 らかに断面の色が異なる。中国産は白く,日本産や北朝鮮産はやや赤みがある。筆者はこの色がいわゆる白茯苓と赤茯苓の相違であると考えている。本来使い分けられるべき両者であれば,赤茯苓の栽培も必要であろう。

そうした考えのもと,生態研究のみならず栽培研究をも続けてきたのである。

実は湖北省の茯苓栽培地へは過去に一度見学に訪れたことがある。
しかし,そのときはかなり大勢であったことや,当方の事前の勉強不足もあって,詳細がよく判らなかったし,案内者もなかなか本質を見せてくれなかった。

今回は再度の挑戦になった。そして,ようやくその全容が明らかになった。
栽培者の手によって,畑から続々と大型の茯苓が掘り起こされてくる光景を見て,これでは中国産の野生品など市場にあるはずがないと理解できた。日本のプロ でも,1日中松林の中を突き回ってせいぜい生重量で10キロ程度の収穫である。ここでは,10キロはものの数分である。中国における野生品茯苓の密度がど の程度かは知らないが,誰に質問しても野生品に関しては首を傾げるばかりで,茯苓突きの話しはこれっぽっちもしてくれなかった。

やはり,今や中国では野生品など誰も突いていないのである。本稿はそのときの調査日記である。

北京到着

我々を歓迎する看板

我々を歓迎する看板

10月9日朝,関西空港で栃本天海堂の渡邉康弘さんと西谷真理さんと落ち合い,10時10分発の日本航空機で北京に着いた。

北京空港では,今回の案内者の陳國強さんが待ち受けてくれていて,北京から武漢へ向かう国内便の出発時間17時50分(以下現地時間)まで数時間を空港内で過ごすことになった。ターミナル内の書店,理髪店,喫茶店などで時間をつぶした。

武漢行きの中国国際航空CA1365便は定刻通りに出発した。予定では武漢の空港から3時間ほど車に乗って羅田県まで行く予定であったが,この日は武漢泊まりとなった。海怡錦江大酒店に案内され,ホテル内で夕食を済ませて初日を終えた。

翌日は早めの出発となった。長江を渡り,有名な東坡赤壁を左手に意識しながら過ぎ,昼までには羅田県に到着した。市街地に入ると,車中から細々と家内工業的に茯苓を加工している風景が見え,いや応にも気分が高まってくる。

車はそのまま,赤い看板に「熱烈歓迎」と書かれた恵涛葯業の玄関前に停まった。

恵涛葯業社屋

恵涛葯業社屋

2階に案内され,一息入れて,先ずは社内食堂で昼食にキノコを主体とした鍋料理をいただいた。

天気は屋内に居るのがもったいないほどの快晴である。


湖北恵涛九資河薬業有限公司の馮政光総経理

湖北恵涛九資河薬業有限公司の
馮政光総経理

午後は社屋の裏側にある山の斜面を利用した栽培地を見学する。湖北省と安徽省との省境に長く連なる大別山系の筆架山がすぐ近くに望まれる良い場所である。

以前訪問したときは社屋のすぐ裏に茯苓が栽培されていたが,今は他の場所やまた最奥の丘陵地に移っていた。茯苓栽培も連作障害があって,毎年同じ場所では栽培できないと聞いた。栽培地にはさまざまなものが植えられている。

山梔子,玄参,丹参,地黄などが目立ったが,案内人は茯苓の栽培地へと急ぐ。


大別山系筆架山

大別山系筆架山

茯苓を栽培する松林

茯苓を栽培する松林

茯苓の栽培地へ

 榾木についた茯苓(下側)

榾木についた茯苓(下側)

まもなく左手の平坦に耕作された場所に着き,早速鍬で掘り始める。ものの数秒で茯苓が顔を見せる。予期してはいたものの,そのあっけなさに却って感動が起こらない。地中には長さ60センチほどの榾木(ほたぎ,またホダとも言う)が2本セットで置かれていて,その一端に直径20センチほどの円くて黒い茯苓菌核が付いている。

反対側にはビニル袋に包まれた培養菌糸が残っている。
以前はガラス瓶であったのが,今ではビニルに変わっている。椎茸栽培を手本にしていると説明があった。

3月に植え付けて,6~7ヶ月後には収穫できると聞いた。他の作物と何ら変わらない栽培期間である。他の多くの薬材原植物の栽培が収穫までに複数年要するのとは大違いである。


茯苓栽培地

茯苓栽培地

 茯苓を掘る

茯苓を掘る

茯苓菌核

茯苓菌核


最奥地の畑

その後,最奥地の畑に案内される。既存の松林を切り開き,そこで切ったマツを榾木に利用して,その場所で栽培するのである。これなら連作障害とも無関係で,その後またマツが生えてくるであろうから,ただ放置しておけば10数年もすれば自然に回復するであろう。しかし,最近では自然保護政策のため,マツを切るにも許可が必要で,思うようには切れないらしい。そのためにマツが不足して近年は茯苓の栽培が困難になっているということを日本で聞いていたが,今回ここではそうした話を聞くことはなかった。

茯苓栽培後の榾木(奥)と来年用の榾木

茯苓栽培後の榾木(奥)と
来年用の榾木(前)

菌を植え付けるマツは,秋に切った後,乾燥しやすくするために皮を一部そいで春まで野外に放置しておかれる。菌株の方はビニル袋におがくずを入れ,キノコ栽培と同様に菌糸を植え付けて無菌培養されるが,それも複数箇所で行なわれているらしく,各畑で形状が異なった。栽培者は1個1元ほどで手に入れるようだ。昔は菌核そのものを切って榾木に着けていたようである。

菌株を榾木につける数もまちまちで,1個のところから数個つけたものまで見た。菌株の数による菌核形成の影響は尋ねる機会を逃したが,見学した限りではさほど影響があるようには思われなかった。


天麻の栽培地

社屋に戻る途中,天麻の栽培地をも見学させていただいた。
よしずの覆いを張った何の変哲もない薄暗い圃場に入ると,案内人が畝の片隅を手で丁寧に掘ってくれた。中からすぐに特徴的な天麻が現れた。辺りを見回しても植物体は1本も見えない。花を咲かせる訳ではなく,地下で薬用部の根茎部を育てているのである。

自然環境でも,こうして地下である程度にまで根茎部が育ってから茎を出して花を咲かせるのであろう。原植物のオニノヤガラが別名ヌスビトノアシと呼ばれるのは,その地下部すなわち薬用部の形のみならず,毎年同じ場所では咲かない性質をも言ったものであるとされる。葉緑体を持たない腐生ランである。当然栽培は困難な植物である。

中国でかなり以前に栽培化に成功したという話を聞いたことがあったが,実際に栽培地を見たのは初めてで,茯苓調査の副産物で思いがけず貴重な体験ができた。天麻の栽培は,最初に小さな種子から無菌培養で育て,その後,畑にやはり宿主となる木を入れて植え付け,育てられるのである。

茯苓と言い,中国人の智慧と情熱には感心する。種々の生薬の栽培地の他,見本園的な畑もあって,厚朴,山豆根,葛根,土大黄など多数の薬用植物が植えられていた。

天麻の栽培圃場

天麻の栽培圃場

 栽培天麻

栽培天麻


杜仲の加工風景

栽培地の見学の後,社屋の2階で簡単な説明を受け,その後は隣にある加工所の見学に向かった。

山高く積まれた茯苓の加工品を横目に加工所の中に入っていくと,先ず眼に入ったのは茯苓ではなく,杜仲の加工風景であった。10人ばかりの女工が束をほどいたり,片手切りで切断したり,選別したりしていた。

この頃になると,茯苓栽培に関する一通りの知識が得られたこともあって,先に進む案内人に従わず,足を止めて杜仲の加工風景にカメラを向ける。一通りのアングルで撮り終えてから奥に行くと,2人の女性が大きな茯苓菌核の玉の皮を刃物を使って剥いているところであった。

茯苓切り

茯苓切り

さらに奥では一人の男性が中国独特の大きな包丁で,皮を剥かれた白い菌核を丁寧に角形片あるいは賽の目に切っていた。大切な商品なのであろう,皮を剥く女性たちの手も菌核を切る男性の手も,とても丁寧であったのが印象深かった。女性たちに代わって,日本人見学者たちも刃物を譲り受けて茯苓皮を剥く経験をさせてもらった。

菌核は意外に粘り気があり,皮は簡単には剥けず,結構な力を要した。これでは手をけがする人がいてもおかしくないと思われた。丁寧であったのはそのためかもしれない。

思い起こせば,その後も,いずれの場所でも子供たちが皮を剥いている光景を見なかったのは,やはりそうした理由からではないかと思われた。

別の棟に入ると,切断されて乾燥された茯苓が山積みにされていた。その量に圧倒される。

茯神

茯神

純白に近いものが1級品,やや色づいたものが2級品として分けられていた。また,少ないが茯神の切断品もあり,これも人工栽培で作ると教えられた。以前,中国では生の菌核に枝を突きさして作ると聞いたことがあったので断面を確認したが,木部が奇麗に特徴的に消化され,天然の茯神とまったく同様であった。

どのようにして人工的にこのような茯神を作るのであろうかと思いあぐねるうちに,案内者はどこかへ行ってしまい,その場では聞くことが出来なかった。今日一日で一通り茯苓栽培の実情が理解できたつもりでいたが,まだまだ奥が深そうである。

これから後の2日間も同じような場所の見学かとふと思ったりもしたが,これでまた,明日からの見学が楽しみになった。


茯苓の計量・選品

同じ棟には大きな計量器があって,ときどき麻袋に入れられた生の茯苓菌核が持ち込まれてきた。

地方によって価格は異なるが,概ね1キロ5~6元程度で売買されるらしい。持ち込まれた菌核が一つずつ手に持ってチェックされ,品質の悪いものは横にはねられた。我々が怪訝にしていると,それを割ってみせてくれた。さすがに,中は茶色でカスカスであった。持ったときの重量感で判断できるのであろう。持ち込んだ人は,悪びれる様子もなく,見つかったら仕方ないかと言った風である。

加工所を出ると,歩道一面に角葛根が干し広げられていた。Pueraria thomsonii由来の粉葛根ではなく,繊維の多い日本産と同様の形態をしたものであった。先ほど見本園内で見たのが原植物なのであろうかと思う。

茯苓の計量

茯苓の計量

茯苓購入時の選品

茯苓購入時の選品


茯苓の乾燥・加工

道路を挟んで向かい側にも加工所があって,切って大きな竹籠に広げ入れられた茯苓が棚や庭一面に干されていた。

すでに太陽が落ちかけていたので,足早にその加工所へと向かった。そこでも広い庭の片隅で10人ばかりの老若男女がせっせと茯苓皮を剥いていた。乾燥のために広げられた茯苓はこれまで見たものとは違い,かなり薄く切断されたものであった。

手ではここまで薄く均等に切ることが困難であると思われ,専用の切断機が設置されていたことから,すべて機械切りのようである。

出荷先の違いによって,加工方法も異なっているのであろう。陽が暮れかけて,籠が倉庫の中に取り入れられている最中で,あまり質問もできなかった。

この日は近くのリゾート地にある龍鳳山荘に宿泊した。山間部の静寂な環境にあり,快適であった。

茯苓乾燥風景

茯苓乾燥風景

方茯苓

茯苓

茯苓をスライスする機械

茯苓を
スライスする機械